1496年、本願寺第8代宗主蓮如上人の手により、大坂(明治から大阪)に、親鸞聖人から伝えられた「お念仏」のみ教えを広めるため、現在の大阪城のあたりに一つの小さな坊舎(後の石山本願寺)が建てられたのが始まりです。
その後、『津村郷』と呼ばれていた現在の地に移り(津村別院の名称の由来」津村御坊は【北御堂】と称されるようになり、南御堂(真宗大谷派難波別院。津村別院から南へ約500メートル)とならび大阪の人々に親しまれてきました。
昭和20年3月の大阪大空襲で焼失してしまいましたが、その後、多くの方のおかげにより、昭和39年、西洋風建物で復興し現在に至ります。


難波別院「南御堂』の創建は今から400年以上前の安土桃山時代の末、1595年(文禄4)に本願寺第12代・教如上人(1558~1614)が大坂渡辺の地に「大谷本願」を建設したことに始まります。
教如上人は東本願寺(真宗大谷派の本山・真宗本廟)の建立とともに、大阪の大谷本願寺の地を「難波御堂(難波別院)」とし、大阪における念仏の中心的な道場とします。その後も上人はたびたび大阪の地に赴き、お念仏の教えを説き広め、上人亡き後も難波別院は、宗祖親鸞聖人のみ教えを伝えていく上において今日まで大きな役割を果たしてきました。

1496年、本願寺第8代宗主蓮如上人の手により、大阪(明治から大阪)に、親鸞聖人から伝えられた「お念仏」の御教えを広めるため、現在の大阪城のあたりに一つの小さな坊舎(のちの石山本願寺)が建てられたのが始まりです。
その後、『津村剛』と呼ばれていた現在の地に移り(津村別院の名称の由来」津村御坊は【北御堂】と称されるようになり、南御堂(真宗大谷は難波別院。津村別院から南へ約500メートル)とならび大阪の人々に親しまれてきました。
昭和20年3月の大阪大空襲で焼失してしまいましたが、その後、多くの方のおかげにより、昭和39年、西洋風建物で復興し現在に至ります。